한국사랑 올히의 일본생활

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読書記録:朝鮮の公務員はどのように暮らしたのか? _ 朝鮮公務員の探求生活

①朝鮮時代にも業務に慣れていない新入官吏たちのための本があった。必要な知識を要領良く選んで作った本という意味の『攷事撮要』である。これは、一種の百科事典で、12回修正増補されたのだか、外交や行政実務、実生活に必要なノウハウがまとめられている。

 

②朝鮮の官僚たちは、現代よりも早い出勤だった。さらに、朝会がある日には、明け方に起きて出勤準備をしなければならなかった。勤務時間をちゃんと守らなかったり、すっとぼけて時間を潰したり、欠勤すると、細い木の枝の鞭で打たれるのだか、欠勤する人は多かったようだ。

朝鮮の官僚たちは、普段は卯の刻(午前5~7時)に、冬は辰の刻(午前7~9時)に出勤した。そして、出勤簿である公座簿に署名することで業務を始めた。公座簿に記録された出勤日数は勤務成績評価と昇進に反映された。

中央官僚たちは、王宮で開かれる定期朝会に参加した。毎月1日と15日に祝賀朝会が開かれ、毎月4回(5、11、21、25日) 朝会が定期的に開かれた。朝会には全ての官吏が正服を着て、王宮に入り、王に挨拶をしなければならなかった。また、毎日開かれる常参もあった。常参は、議政府、六曹、漢城府、司憲府、司諫院、弘文館などの核心部署の官員たちが、国王に問安する略式の朝会で、主に堂上官たちが各部署を代表して参加した。

なので、会議に遅れないようにするには早く起きるしかなかった。王宮の定期朝会は、普通、朝5時ごろに開かれるのだが、当然、官僚たちはこれよりも早く起きて、準備しなければならなかった。普通は白がゆなどを簡単に食べて出勤した。当時は昼食を重要視していなかったので、食べない場合も多かったようだ。それゆえ、明け方に出勤して夕方6時頃まで長時間勤務をしていた当時の官僚たちにとって、空腹は耐えがたい苦痛だった。時々、空腹を我慢できない官僚たちは、家の下人たちにごはんを持ってこさせた。

大部分の官庁は酉の刻(17~19時)に退勤し、冬は辛の刻(15~17시)に早められた。退勤後、官僚たちは自然と酒の席をもうけて、部署内外の集まりがよく行われた。文科出身者たちが文酒会を作って、定期集会を行ったのだが、この時、文科の先輩たちの呼び方は先生であった。

多くの官署では、中下位職の官院たちが担当する宿直制度があった。宿直は一般的に場所を見守る程度の仕事だったが、弘文館の官員たちは時々、王の前に出て、学問を論じる略式経筵である夜對に参加しなければならない時もあり、大きな負担感を感じたという。

 

 

 

 

 

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