한국사랑 올히의 일본생활

한국사랑 올히. 한국 책과 한복, 한옥, 가야금을 좋아해요.

読書記録:朝鮮の公務員はどのように暮らしたのか? _ 朝鮮の統治システム

①朝鮮時代の官職数は両班層が必要とする需要にかなり満たなかった。『経国大典』によると、都と地方、文武、雑職を合わせた全ての官職は約5,000〜6,000個だった。しかし、その中で両班が進出できる官職は約2,200個で、中心となる要職は約300個に過ぎなかった。『経国大典』によると、中央官制は大きく文官と武官に分けられ、2つはさらに内と外の職に分けられた。品階(官吏の職位と官等)は、従9品から正1品まで、全部で18個の等級があり、品別にさらに細分化された階を置いて運営した。このうち、正1品から従6品までは、品ごとに2つの階を置く反面、正7品以下は1つの階だけを置いた。4品以上は「〜大夫」、5品以下は「〜郎」と呼ばれた。そして、官と職は、これとは別に区分された。正3品を基準に大きく堂上官と堂下官に、6品を基準にさらに参上官と参下官に区分した。ここで、堂上は朝廷で業務をする際、臺廳に上がり椅子に座る資格を持った者を指す。すなわち、王と共に重大事を論じ、政治的責任がある官署の長官を担う資格条件を持った最高位の官僚層なのである。そして、6品に昇進すると地方守令になれる資格が与えられた。参上官は、謀叛、不孝、殺人のような綱常罪を犯さない限り、官職を奪われなかった。7品以下の参下官は官庁の実務を担当する官吏だった。

 


科挙試験及第者のうち、11〜33等に該当する丙科は正9品、4〜11等に該当する乙科は正8品、甲科2等と3等は正7品の官職に任用された。そして、甲科1等である掌苑は従6品の官職を除授した。従6品は、地方県監に該当する地位だったので、これは破格的な待遇であるだけでなく、9品から6品まで昇進するのにだいたい6〜10年がかかるので、同期たちよりもかなりリードするものだった。制度的に掌苑には従6品職を除授されていたが、実際には中央官職を授けたりし、正6品である六曹の左郎などに任用される場合もあった。それほど掌苑及第者は、より尊重し、優待されたのだ。もし、現職にある者が掌苑にを取ったら、参下官は6品に、参上官職は何段階もさらに昇進した。

 


文班と武班は同一の地位として規定されていた。しかし、実際には文班が武班に比べて政治的にも社会的にも優遇され、儒学を崇め尊んだ社会の雰囲気などにより、文班の地位は自然に向上した。国政を議論し執行する議政府と六曹の堂上官はほとんど文班にのみ任命され、人材を推薦したり各種国家行事に参加する場合も武官より高い待遇を受けた。武人の品階は正3品の折衝将軍が最も高かったので、正2品以上の官職は文人がほとんど独占した。よって、軍の最高統率権も文人が持った。

 

官職には文科出身者が進出したポストと蔭敍出身者が任用されたポストが事実上、別にあった。文科及第者たちが配属される4官(芸文館、成均館、校書館、承文院)をはじめとし、弘文館、承政院などが中央核心部署だったが、そこの参下官(7〜9品)のポストは、たったの約40個に過ぎなかった。残りの非核心参下官約150個のポストは文科出身者と蔭敍などの非文科出身者が分けて担った。なので、現職にある蔭敍出身者たちも科挙を受験する事例が多かった。なぜなら、現在の階級より何等級も上がることができ、文科出身者たち同士が仲間になって、蔭敍出身者たちを無視し、除け者にしたからだ。制限された官職数に比べて、官職をもらおうとする人が多く、官職はよく交代されたが、これは長期執権により権力者の出現を抑え、中央集権体制を維持しようとする目的と関連があった。

f:id:skrhdidhzlskdhk:20240415115546j:image

 

②特殊な業務を担当する機関に、議政府と六曹の指揮監督を受けない承政院、司憲府、司諫院、弘文館などがあり、ソウルを管掌する漢城府と地方の責任を持つ8道があった。たとえ名称は違っても、朝鮮と現在の行政機関は役割や担当業務において似ている面が多い。朝鮮の核心的な業務を担当する官庁は景福宮の正門である光化門の前に位置していた。光化門を中心に左側には議政府、吏曹、戶曹などがあり、右側には司憲府、兵曹、刑曹などがあった。重要官庁であるほど、入宮頻度が高いので、アクセスが優れた場所に位置していた。

f:id:skrhdidhzlskdhk:20240415115601j:image


③朝鮮時代は、官等により官服を制定した。1~2品の高位官僚たちは紅袍という赤色の官服を、その下の3~6品は青色の官服である青袍を、7品以下は緑袍と呼ばれる緑色の官服を着ていた。しかし、1746年に出版された『續大典』では、堂上官は桃色の韓服を、堂下官は赤色の韓服を着るようにと規定した。

 

 

 

 

 

한국사랑 올히의 일본생활