한국사랑 올히의 일본생활

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読書記録:朝鮮雑job史 _ 朝鮮の専門職

㊽숙사(塾師)…

勉強以外はできない선비(学識はあるが官職につかなかった人)が選択できる職業は多くなかった。家さえない貧しい선비は、住み込みの家庭教師として他人の家に居候して、子どもたちを教えた。숙사(塾師)とも呼ばれた。

숙사という職が好きでやる人はいない。食うや食わずのソンビが糊口をしのごう選択する職業だった。彼らに寝食を提供して、幼い子息の教育を任せた。

숙사の目標は学生が字を覚えて科挙に合格することだ。学生が科挙に合格すると숙사との縁も切れる。学生たちは著名な官僚や学者には一度しか会っていなくても師として崇めるが、何年も自分を教えてくれた숙사は師匠と思わなかった。


㊾돗자리 짜는 노인…

朝鮮時代、선비の終着地は、わらじ編みかござ編みだった。元手も技術も必要なく、少し慣れれば誰でもできるので、農業をする百姓はもちろん、寺院の僧侶も監獄の囚人も皆、ござを編んで生計を維持した。科挙を受けられない선비もござを編んだ。

専門的にござを編む匠人は、인장(茵匠)、석장(席匠)と呼ばれた。


㊿산원(算員)…

朝鮮は建国当初、租税制度を整備すると同時に土地を新しく測量した。ここに各種面積計算法や単位換算に秀でた산학(算学)、即ち数学専門家が動員された。算学を土台に租税を含め、国家会計と測量業務を担当した専門家を산원(算員)と呼んだ。朝鮮時代の国家財政と会計は戸曹で担当した。算員は戸曹に配属され、複雑な計算を引き受けた。

算員は、算学取才(才能を試して登用すること)を通して選抜した。算員を選抜する試験問題は『오조산경(五曹算経)』、『상명산법(鮮明算法)』、『양휘산법(揚輝算法)』、『산학계몽(算学啓蒙)』などの中国で出版された산서(算書)から出題された。これらの数学書籍は実務に必要な測量法や度量換算法をはじめとし、幾何学平方根、10次方程式など、高度数学も網羅した。実務レベルで会計を担当した算員は数学を研究する専門数学者であることもあった。


[51] 역관(訳官)…

역관(訳官)は使臣を補佐しながら、通訳をはじめとして、現地官吏と接触するさまざまな実務を担った。問題は、彼らに定期的な給料や道を行き来するのに必要な経費が全く支給されないということだった。そのため、国からは一人が背負って歩き回れるぐらいの分量の인삼(高麗人参)8자루(袋)、約80근(斤)を取引する権利を付与したのだが、これが팔포제(八包制)の始まりだった。

사역원(司訳院)に所属する訳官は600銘を超えたが、中国や日本に行く行列について行くような実務を遂行できた人員は70数名に過ぎなかった。訳官たちは인삼をや中国や日本に持っていき、高い価格で売り、両班たちが必要とする書籍や絹などの贅沢品を国内に持ち込み、転売する仲介貿易で大きな富を得た。誤字が少ない良い版本の本や手に入りにくい中国書籍は訳官に頼むしかなかった。特に、中国絹は娘の結婚になくてはならない物であり、田舎や山あいに住む者さえも、絹の服を一着ずつ持っているほどだった。このような取引に勝利した訳官は、大金持ちになり、代々訳官を輩出した。

 

[52] 서수(書手)…

朝鮮時代には字を代わりに書いてくれる専門家がいた。彼らを서수(書手)と呼んだ。高麗時代の官職のうち、서인(庶人)が主に担当する分野のうちの一つである。当初、서수は官庁に属する低い官職から出発した。

『영조실록(英宗実録)』に이제동(李濟東)という人物が신씨の家で10年以上、서수の職についていたという内容があり、심노숭の『자저실기』にも정현죄(鄭顯佐)が심노숭兄弟の全ての科挙試験の答案用紙と原稿を筆写したという記録がある。このように18世紀後半を前後に、서수たちは流麗な字体を武器に民間分野で専門家集団を形成していった。

それでは、彼らが主に筆写した資料は何だったのか?허균の『성소부부고』に載せられた「병오기행(丙午紀行)」には、서수がいなかったら朝鮮の詩を速く筆写できなかったという内容が登場するので、서수が筆写する資料に文学が含まれていたことが分かる。18世紀、漢陽の세책가(貰冊家)で扱われたハングル小説もまた専門筆写者によって筆写されたと伝えられる。

서수が最も活発に活動した場所は科挙試験現場だった。거벽が作成した答案用紙を綺麗に筆写してくれる서수とワンチームで試験を受けた。이익が科挙試験の答案用紙を自ら作成する人は10%にも満たなかったと批判していることから、このような雰囲気は当時かなり一般的な現象だったことがわかる。答案用紙を綺麗な字で可能な限り速く作成し、提出することが合格に有利だったので、서수の役割はとても重要だった。

その他にも、戸籍などの官庁に提出する公文書の作成や筆写も서수が担当していた。作文が不可能な人々の文書を代わりに書いてあげたりもしたが、素晴らしい字体が必要な人のために手数料をもらって筆写することもあった。

このように、사대부가(士大夫家)の各種記録物、文学作品をはじめとして、消費商品としての古典小説、科挙試験答案用紙、各種公文書などの筆写や作成を中心に市場が形成され、字を美しく書ける能力が職業に繋がった。

 

[53] 오작인(仵作人)…

朝鮮時代に殺人が起きると고을(村)の사또(地方長官)が검시관(検死官:死体を調査する官吏)を担った。사또が直接検死を進行するのではない。検死は変死体を触る険しい仕事であり、死体の傷痕を判読する法医学知識がないからだ。変死体をきれいに手入れし、検死を担当する専門家は別にいた。오직인(仵作人)、오작사령(仵作使令)と呼ばれた。오직인は法医学書を根拠にし、사인(死因)を調べた。


[54] 외지부(外知部)…

民間で活躍した法律専門家。外知部という名称は高麗の도관지부(都官知部)に由来した。都官は法律を管掌する형부(刑部)所属の官庁、知部は判決を担う従3品官吏をいう。外知部は都官の外の民間で知部の役割をする者を意味する。訴状を代わりに書いてやり、訴訟を諮問した外知部は、最近の言葉で言えば야매 변호사(ニセ弁護士)だ。


[55] 겸인(傔人)…

朝鮮の執事。겸인は청지기(廳直-)または소사(小史), 통인(通引)とも呼ばれた。奴婢でもなく子息でもないのに、主人に影のようについて行き仕えた。中人の身分で奴婢がする雑役はしなかったであろうが、あらゆる細々とした身の回りの世話を引き受けた。主人の食事や着る物を準備するのは基本であり、冠婚葬祭をはじめとする家の行事を手伝った。事務補助や文書作成にも達者だった。家の事情を知り尽くしていて、外の情報を入手するのも早かった。月給はもらっていないが、官庁に就職させてもらえたので、文句が出なかった。また、겸인は、官庁に就職した後も主人に官庁で得た重要な情報を伝えたり、不正な方法で得た利得を上納した。主人の権力がなくなれば、苦労して手に入れた働き口もなくなるからだ。


[56] 판수…

朝鮮の人々は、盲人が視覚を失った代わりに、一般人には見えない未来を見えて、聞こえない音が聞こえると考えていた。視覚の代わりに神が非凡な能力を携えたと信じ、朝鮮の朝廷は、才能のある盲人を選んでピッタリな仕事を与えた。秀でた能力による選抜から漏れた視覚障がい者は판수として生計を立てた。

판수は民間で活動する読経と占術の専門家だった。판수は무당のようにきらびやかな身振りはできなかったが、代わりに、聞く者が舌を巻くほどの速い速度で経典を一文字も間違えずに正確に暗唱した。高い集中力と訓練が必要であり、판수は徹底した修練を経たのち、師匠と弟子がともに活動した。


[57] 응사(鷹師)…

鷹を利用して狩りをする鷹狩師を응사(鷹師)と呼んだ。

 

 

 

 


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